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会津のイベント特集

会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津の文化~

数百年の時をへて現代に受け継がれる言霊

祈りのとき

ご詠歌(ごえいか)

「御詠歌」とは、五・七・五・七・ 七の短歌形式の歌詞を旋律にのせて唱える仏教歌謡のこと。
仏の教えや霊場の景観、死者への哀悼、札所にまつわる伝承などが読み込まれているものです。

 

御詠歌は地域の観音講の際には、1番から33番まで通しでうたわれますが、 それ以外にも安産祈顆の御詠歌や葬儀や年忌供養の際の御詠歌など、 人の生死に関わる機会にもうたわれるものです。

 

 福島県会津地方には、人は亡くなった際、初七日、二七日、三七日、そして四十九日の納骨まで、近所の女性たちが集まって歌詠み(御詠歌)をするという風習があります。
会津には三十三観音の霊場があり、それぞれに因んだ歌があります。納骨までの七日毎にその歌を詠むことで、会津三十三観音を巡り、功徳(くどく)を積んだこととなり、故人の魂を浄土へ送ることができると言われています。


1人が鐘を打ち、そのリズムに全員が合わせ、独特の節回しで、33首プラス番外の歌を詠んでいきます。
鐘のリズムや節回し、番外の歌の数などが、会津地区の中でも微妙に違い、長い場合は30分~1時間近くかかることもあるようです。

1番から33番まで奉納歌碑で紹介します

第一番 大木観音堂 おおきかんのんどう

第一番 大木観音

万代の 願い大木の 観世音 あの世とともに 救け給えや
  (よろづよの ねがいおおきの かんぜおん あのよとともに たすけたまえや)

第二番 松野観音 

朝日射す 夕日 輝く 大山寺 松野の里に 晴るる薄雲
  (あさひさす ゆうひかがやく おおやまでら まつののさとに はるるうすぐも)

第三番 綾金観音

露の身の 夢まぼろしの 世の中に 身を綾金と いで祈るらん
 (つゆのみの ゆめまぼろしの よのなかに みをあやがねと いで いのるらん)

第四番 高吉観音

掻き分けて 参りて拝む 高吉の 仏の光 道ぞ輝く
  (かきわけて まいりておがむ たかよしの ほとけのひかり みちぞかがやく)

第五番 熱塩観音堂 あつしおかんのんどう

第五番 熱塩観音

後の世を 救け給えや 観世音 慈悲熱塩に 参る身なれば
  (のちのよを たすけたまえや かんぜおん じひあつしおに まいるみなれば)

第六番 勝観音

陽照るとも 山の氷は よもとけじ 里に時雨の あらんかぎりは
  (ひてるとも やまのこおりは よもとけじ さとにしぐれの あらんかぎりは)

第七番 熊倉観音

古里を 遙るばる出でて 熊倉の 仏に参る 身こそ安けれ
  (ふるさとを はるばる いでて くまぐらの ほとけにまいる みこそやすけれ)

 たけやかんのんどう

第八番 竹屋観音

今朝の日は 遙か竹屋の 観世音 急ぎ参りて 拝め旅人
  (けさのひは はるかたけやの かんぜおん いそぎまいりて おがめたびびと)

 

第九番 遠田観音

後の世を 願う心を 照らすらん 遠田の沖に 出づる月影
 (のちのよを ねがうこころを てらすらん とおたのおきに いづるつきかげ)

第十番 勝常観音

幾たびも 歩みを運ぶ 勝常寺 生れ会津の 中の御佛
  (いくたびも あゆみをはこぶ しょうじょうじ うまれあいづの なかのみほとけ)

第十一番 束原観音

昔より 誰が建てそめし ふるしきの 久しかるべき 束の原かな
  (むかしより たが たてそめし ふるしきの ひさしかるべき つかのはらかな)

第十二番 田村山観音

千早振る 神ぞまことの 住吉の 重ねがさねの 杜の注連
  (ちはやふる かみぞまことの すみよしの かさねがさねの もりのしめなわ)

第十三番 舘観音

遙るばると 参りて拝む よしみ寺 仏の誓い 新なるらん
  (はるばると まいりておがむ よしみでら ほとけのちかい あらたなるらん)

第十四番 下荒井観音

高野山 余所に在らじの 下荒井 三鈷の松の 法の朝風
  (たかのやま よそにあらじの しもあらい さんこのまつの のりのあさかぜ)

第十五番 高瀬観音

乗り得ても 心 許すな 天小舟 高瀬の波は 時を嫌わず
 (のりえても こころゆるすな あまおぶね たかせのなみは ときをきらわず)

第十六番 平沢観音

参り来て 浮世を此処に 忘れ置く 心及ばぬ 平沢の月
  (まいりきて うきよをここに わすれおく こころおよばぬ ひらさわのつき)

第十七番 中ノ明観音

参るより 頼みをかけし 観世音 沼木の沼に 浮かぶ水鳥
  (まいるより たのみをかけし かんぜおん ぬまぎのぬまに うかぶみずとり)

第十ハ番 滝沢観音

滝沢の 落ちて流るる 滝の水 かかる末々 弥勒なるらん
  (たきざわの おちてながるる たきのみず かかるすえずえ みろくなるらん)

第十九番 石塚観音

後の世を 願う心は 軽くとも 佛の誓い 重き石塚
  (のちのよを ねがうこころは かろくとも ほとけのちかい おもきいしづか)

第二十番 御山観音

遙るばると 登りて拝む 岩屋山 いつも絶えせぬ 松風の音
  (はるばると のぼりておがむ いわやさん いつもたえせぬ まつかぜのおと)

第二十番 左下り観音

左下りは 岩に聳えて 懸造り いつも絶えせぬ 峯の松風
  (さくだりは いわにそびえて かけづくり いつもたえせぬ みねのまつかぜ)

第二十二番 相川観音

朝日射す 夕日 輝く 相川の 月 諸共に 出づる御手洗
  (あさひさす ゆうひかがやく あいかわの つきもろともに いづるみたらし)

第二十三番 高倉観音

高倉は 宝を積みし 山なれば 人の願いも 満つる高倉
  (たかくらは たからをつみし やまなれば ひとのねがいも みつるたかくら)

第二十四番 関山観音

散る花を 止むる氷玉の 関の山 雲 降り登る 道は一筋
  (ちるはなを とむるひだまの せきのやま くもおりのぼる みちはひとすじ)

第二十五番 領家観音

朝日射す 夕日 輝く 領池の 大悲の光り 有明けの月
  (あさひさす ゆうひかがやく りょういけの だいひのひかり ありあけのつき)

第二十六番 富岡観音

朝ぼらけ 賑わう里に 立つ煙 誠の人を 止むる冨岡
  (あさぼらけ にぎわうさとに たつけむり まことのひとを とむるとみおか)

第二十七番 大岩観音

山深み 池に流れの 音 添えて 浮世の夢を 洗う松風
  (やまふかみ いけにながれの おとそえて うきよのゆめを あらうまつかぜ)

第二十八番 高田観音

昔より 立つとも知らぬ 天王寺 奥の細道 轟きの橋
  (むかしより たつともしらぬ てんのうじ おくのほそみち とどろきのはし)

第二十九番 雀林観音

巡り来て 西を遥かに 眺むれば 雨露 繁き 古方の沼
 (めぐりきて にしをはるかに ながむれば あめつゆしげき ふるかたのぬま)

第三十番 中田観音

巡り来て 四方の千里を 眺むれば これぞ会津の 中田なるらん
 (めぐりきて よものちさとを ながむれば これぞあいづの なかだなるらん)

第三十一番 立木観音

遙るばると 参りて拝む 恵隆寺 いつも絶えせぬ 松風の音
  (はるばると まいりておがむ えりゅうでら いつもたえせぬ まつかぜのおと)

第三十二番 青津観音

春は花 夏は青木に 繁りつつ 秋は紅葉に 染むる露しも
  (はるははな なつはあおきに しげりつつ あきはもみじに そむるつゆしも)

第三十三番 御池観音

参るより 恵も深き 御池の 池の蓮は 我を待つらん
  (まいるより めぐみもふかき おんいけの いけのはちすは われをまつらん)

番外1 浮身観音

 浮身をば助け給へや観世音 みちびき給え弥陀の浄土へ

うきみをばたすけけたまへや(かんぜおん みちびきたまえみだのじょうどへ)

 番外2 柳津観音

柳津は岩に聳えて懸造り 前には只見の舟の浮きはし

(やないづはいわにそびえてかけづくり まえにはただみのふねのうきはし)

番外3 鳥追観音

金剛き山の如きの法の寺 まこと大悲の浄土なるらん

(かねこわきやまのごときののりのてら まことだいひのじょうどなるらん)

 

会津の観音講 女性の学びの場であり息抜きの場でもあった!?

会津に三十三観音が定められてからは、体力的にも費用的にも身近なものとなり、人々は田畑の仕事が一段落した頃、三十三か所それぞれの「御詠歌(ごえいか)」を唱えて霊場を巡礼しました。

 

観音信仰が盛んな会津では集落ごとに観音講があり、嫁たちは「ナカマッコ(仲間講)」というグループを作って観音めぐりをする風習がありました。普段は家を空けることが出来ない女性にとって、「ナカマッコ」でめぐる観音様は、最高の息抜きと、出産や育児、交流や情報交換、地域生活の様々なことを習う最大の学びの場だったかもしれません。