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会津のイベント特集

会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津の文化~

会津三十三札所・観音堂を紹介! 

会津三十三観音の中でも異彩を放つ「左下り観音」清水寺を彷彿させる。

参拝の基礎知識とマナー寺院編

手水舎(参詣者が手や口を漱ぎ清めるところ。柄杓にすくった一杯分の手水(ちょうず)を使い、一連の所作を行う)

手水舎(ちょうずや)
・ 境内にある、参拝者が身を浄めるための施設を手水舎と言います。
・ 参拝の前には、以下のようにして手と口を清めます。
(1)まず右手に柄杓(ひしゃく)を持ち、左手を洗い清めます。
(2)柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。
(3)再び持ち替えて柄杓を右手に持ち、左のてのひらで水を受けて口をすすぎます。柄杓に口をつけて口をすすぐことのないように注意してください。
(4)左の手のひらを清めます。
(5)最後に柄杓を縦にして、自分が持った柄の部分に水を流し、元の位 置にもどします。
※お寺によっては手水舎がない場合もあるので、そのときはそのまま先にすすんでください。

鰐口(仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具。つるした綱で打ち鳴らす道具)

拝礼

・鰐口(わにぐち)をたたきます。
・合掌します。

 (拍手は打たないのがポイント)

・深く礼をします。

・感謝のことばと願いごとを申し上げます。

・合掌したまま、本堂に向かって一礼し、

 その場を離れます。


※寺社によっては上記と異なる参拝方法の場合もあり、多くはその旨の表示がある。

会津三十三札所巡り「会津めぐり」

俗に会津三十三観音巡りと呼ばれていますが、これは仏籍にある三十三種類の観音を巡るわけではなく、場所別に三十三の札所を巡るものです。

 

会津での三十三観音めぐりの起源は寛政二十年(一六四三)、保科正之公の入封以降と伝えられています。
当時、領民のあいだでは伊勢参りや西国三十三観音巡りなどが盛んで、多額の費用が領外に流れていくのを案じた正之公が高僧らと計り、会津にも三十三所を定めたといわれています。

 

会津盆地をぐるっと一周するように点在する札所の多くは、小さな集落や山の中にあり、その場所は地元の人々が代々大切に守り続けてきた神聖な場所です。

 

おもに農村部の女性が、田畑の仕事が一段落した七月頃に、白装束に笠をかぶり、講仲間とともに「御詠歌」を唱えながら三十三観音札所を巡礼して回ったそうです。その付き合いは一生に渡って続く女性にとって非常に大切なものでした。

 

会津の人々にとって「会津めぐり」は、祈りの場だけでなく、女性の地域との関わり方や、日常的な人との付き合い方を学ぶ場でもあったのです。

大木観音(oki kannon)

万代の 願い大木の 観世音 あの世とともに 救け給えや

第1番 大木  真言宗紅梅山常安寺  
喜多方市塩川町大田木字塚田3281-1
●十一面観世音 

●祭日・旧7月10日

由緒

徳一大師の開基、天正17年(1589)に伊達政宗のために炎上、上杉景勝によって再建され、客殿に本尊地蔵菩薩をまつり、観音堂には常安長者の持仏といわれる十一面観音を安置しています。

★昔は歌舞伎が上演されたこともありました。

 

松野観音(matuno kannon)

朝日射す 夕日 輝く 大山寺 松野の里に 晴るる薄雲

第2番 松野 曹洞宗物宝山良縁寺  
喜多方市慶徳町松舞家字松野
●千手観世音

●祭日・9月17日

由緒

行基が会津に来られた時、1宇を立てて慈福山千光寺と命名。慶弔16年8月の大地震により倒壊。その後に小堂を建てて千光寺の霊像を安置したが、これも元禄7年5月に焼失、現在のものはその後の再建といわれています。

★「腹観音」とも呼ばれ、安産や子宝に恵まれるように祈願に訪れる

綾金観音(ayagane kannon)

露の身の 夢まぼろしの 世の中に 身を綾金と いで祈るらん

第3番 綾金 曹洞宗長流山金泉寺    

喜多方市豊川町米室綾金155
●十一面観世音

●祭日・3月10日

由緒

元弘元年(1331)葦名遠江守盛宗の建立、天正の兵火にかかり、寛文(1661~1672)中に石伝なる僧が再興した。本堂の開基は慶徳寺六世の高照が寛永年間に開山したと伝えられています。

高吉観音(takayoshi kannon)

掻き分けて 参りて拝む 高吉の 仏の光 道ぞ輝く

第4番 高吉 真言宗吉例山徳勝寺  
喜多方市豊川町米室字高吉4415 
●十一面観世音

●祭日・8月19日

由緒

草創は不明、文亀の頃(1501~1503)僧盛尊が中興、観音堂は元和7年(1621)火災のために霊像焼失し、現在はその後の護身二尺余りの十一面観音です。

熱塩観音(atushio kannon)

後の世を 救け給えや 観世音 慈悲熱塩に 参る身なれば

第5番 熱塩 曹洞宗護法山示現寺  
喜多方市熱塩加納町熱塩字熱塩甲795
●千手観世音

●祭日・4月18日

由緒

空海の建立とされる道場寺として有名。五峯山慈眼寺と称していましたが、そののち寺が衰退。源翁和尚がこの地にやってきて護法山示現寺と改められています。

 

勝観音(sugure kannon)

陽照るとも 山の氷は よもとけじ 里に時雨の あらんかぎりは

第6番 勝(すぐれ) 真言宗松島山勝福寺   
喜多方市関柴町三井字堂ノ上630
●十一面観世音

●祭日・旧7月17日

由緒

天文年中(1532~1554)某中将、勝の前がこの地で亡くなったのを悲しんで、勝福寺を建立し観音像を安置しました。その後社寺荒廃し、永碌元間(1558)葦名盛興が再建。のち荒廃して寛文5年(1665)に再興され、仁王門も残されています。

★中世会津ではめずらしい和模様を基調とした三間堂で国の重要文化財に指定。

 熊倉観音(kumagura kannon)

古里を 遙るばる出でて 熊倉の 仏に参る 身こそ安けれ

第7番 熊倉 浄土宗紫雲山光明寺  
喜多方市熊倉町熊倉字熊倉837
●千手観世音

●祭日・旧6月10日

由緒

永正17年(1520)相模国鎌倉から江月なる僧がきて開基。天正の戦いで炎上し、千手観音像だけが残され、現在は弥陀を本尊としています。観音堂は境内にあり、行基の作とも慈覚作ともいわれる一尺七寸五分の千手観音像を安置しています。

 竹屋観音(takeya kannon)

今朝の日は 遙か竹屋の 観世音 急ぎ参りて 拝め旅人

第8番 竹屋 曹洞宗大雲山観音寺  
喜多方市塩川町中屋沢字台畑丙697
●如意輪観世音

●祭日・旧4月8日

由緒

天正元年(1573)に越後からきた木翁快元が建立したのが始まり。その後に慶安4年(1651)に現在地に移され、正徳年間に再建されて現在に至っています。妊婦がこの観音に祈れば安産間違い無し。世間の人は子安観音と呼んで親しまれています。

★会津三十三観音で唯一の如意輪観世音(運慶作と言われています)を祀っています。

 遠田観音(toota kannon)

後の世を 願う心を 照らすらん 遠田の沖に 出づる月影

第9番 遠田 曹洞宗福聚山大光寺  
喜多方市塩川町遠田字谷地中3227
●千手観世音

●祭日・旧7月9日

由緒

創建開基は不明。平安初期(749~)に三十六坊や三重塔が建立され、七間四方の観音堂は柱に金をちりばめ、日橋川に映ずる繁栄ぶりは壮麗極めていた。いつごろからか衰退しましたが、越後の安翁がきて再興。本堂に釈迦を安置しています。

 勝常観音(syojyo kannon)

幾たびも 歩みを運ぶ 勝常寺 生れ会津の 中の御佛

第10番 勝常 真言宗瑠璃光山勝常寺
河沼郡湯川村大字勝常字代舞1764
●十一面観世音

●祭日・旧7月17日

由緒

大同年間(806~809)に空海が創建し、天正の戦いで強盗の難に合い、その後火災に罹るなどして、累世住職の僧侶も詳らかではない。会津五薬師の1つである中央薬師として知られる。

★平安初期の仏像が10体が安置。関東以北でこれほどまとまって安置されている寺院は類をみない。

 束原観音(tukahara kannon)

昔より 誰が建てそめし ふるしきの 久しかるべき 束の原かな

第11番 束原 天台宗流古山万蔵寺 
河沼郡会津坂下町束原字東1516
●馬頭観世音

●祭日・旧7月17.8日

由緒

草創は不明。文亀2年(1520)僧である源順が住んでいたという。明暦元年(1655)より下野国日光山妙道院の門徒となったが、その後については不明。本尊は地蔵菩薩で客殿に安置されています。江戸時代末期から塚原村から束原村となりました。

★会津三十三観音で唯一の馬頭観音立像が祀られている。

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